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福原充則『あたらしいエクスプロージョン』

福原充則『あたらしいエクスプロージョン』

 

第62回 岸田國士戯曲賞受賞

 

男:4 女:2  上演時間:約120分

 

<あらすじ>

物には起源がある。
2016年現在、恋人達が恋を燃え上がらす際の着火剤となっているのが、キスであることに異論はないだろう。
では、それを最初に広めたのは?

1946年5月。敗戦から一年を経ずして公開されたある青春映画に、邦画初のキスシーンが収められていた。
これにより秘め事、芸者遊びの枠の中で語られてきた「口づけ」が、恋人達の愛の証「キス」として日本に浸透していく。お互いの愛情をより気軽に表現する方法を手にした人々…。この国により多くの「愛」が燃え上がっていく…。

“邦画初”の肩書きを狙う監督と他の映画屋達、キスによってアメリカ文化を浸透させようとしたGHQ終戦から立ち上がろうと歯を食いしばる市井の人々達の思惑が絡み合いながら展開する、史実を元にしたフィクション。人を愛することの尊さと馬鹿馬鹿しさが炸裂する物語。

ベッド&メイキングス第5回公演「あたらしいエクスプロージョン」DVD発売決定!! – BED&MAKINGSより引用

 

宮沢章夫氏の選評

戯曲における──あえて漠然と書くが──、「距離」はどのようにあるかを強く意識したのは、受賞作のひとつ、神里雄大の『バルパライソの長い坂をくだる話』で語られる世界の広さと、その距離の感覚、位置の意味、あるいは詳述される場所のあり方がきわめて興味深いからだ。
 たとえば、松村翔子の『こしらえる』も、よく書かれたテキストだ。あるいは飛躍の愉楽を感じる作品だが、さまざまな意味で「距離」への感覚が稀薄だと感じる。ドラマの舞台となるレストランのある街の広さや、単純なことを書けば、入口からどれくらい歩けば厨房まで行けるのか。もちろん、それは寸法のことではなく、まして、距離が数値で示されるという意味ではない。あたりまえだが、多くのテキストがそんな記述などせず、読むことを通じて想像させる。だから、典型的な技術の側面から「距離」を考えるなら、ト書きが「距離」を語るのではなく、むしろ、せりふの積み重ねによって──物理的にも、心理的にも──、人と人との距離が表現されるし、人と人との距離から空間を想像させる。ここではせりふは単なる発話のことではない。小説の発話の形式とも異なり、コミックの吹き出しの言葉ともべつの表現だ。演劇の技法にとって特別な要素だ。

 

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あたらしいエクスプロージョン

あたらしいエクスプロージョン